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03.11.16  テディベア・・・100年の人気と秘密について  〜リヒャルト・シュタイフストーリー〜

101年前の今日、つまり1902年11月16日、アメリカの新聞、ワシントンポスト紙にベリーマンが描いた風刺画が掲載されました。

テディベアの名前の由来が、この風刺画の主役となっている第26代米国大統領セオドアルーズベルトのニックネームである、ということは有名な話となっています。(テディベアについて、詳しく知りたい方は、ぜひぜひ、講談社刊「テディベアのすべてが知りたい」若月伸一、佐藤豊彦著をお買い求め下さい!!)

今回のコラムでは、今年、101回目の誕生日を迎えるテディベア、そのかたちをつくり上げた、ミスターテディベア、リヒャルト・シュタイフについて、ご紹介します。
既に「テディベア生誕100年展」にてご紹介した内容ですので、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、是非、たくさんの方にリヒャルト・シュタイフをご紹介したく、再度、掲載します。

2001年7月、アメリカへ行く機会のあった私は、リヒャルトの孫娘のスザンヌ・シュタイフさん、クレア・シュタイフさんにお会いし、ご自宅でおいしいクッキーをいただきながら、非常に貴重なお話を聞かせていただく幸運に恵まれました。
そのお話しを聞き、リヒャルト・シュタイフが時代やテディベアという枠を超えて、いかに独創性、芸術性のあふれた魅力的な人物であったかを知り、大変な驚きと感動を覚えました。文献等で調べた内容と合わせて、ここに、そのごくごく一部を紹介します。
シュタイフ社の創業者、テディベアの生みの親(会社として、製造する決断をくだした)マルガレーテ・シュタイフの劇的な半生は、当財団の「テディベアママ150プロジェクト」を通じてもご紹介しました。しかし、テディベアの具体的な企画者であり、製作者でもあるリヒャルトの仕事については、日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。
テディベアファンの方には、唯一、眼鏡をかけた哲学的な風貌が思い浮かぶことでしょう。

リヒャルトの才能を愛した叔母のマルガレーテは、彼に仕事に必要なあらゆる技術を修得するチャンスを与えました。その中で彼の最も情熱と才能があふれた分野は、商品開発であり、やがてシュタイフ社のすべての製品の開発管理に関わるようになります。
そして彼は、テディベア以外にも数々の作品を生み出しました。それは、さまざまな分野に及んでいます。
リヒャルト・シュタイフは、発明家でもあり芸術家でもあったのです。

■「乙女達の水族館」―シュタイフ社工場の建築
総ガラス張りのキューブデザインの工場は、バウハウスを想起させる機能美にあふれた建物です。彼は、この工場をなんと1903年に設計しているのです。当時は、ガラス越しに多くの若い女工さんの働く姿を見に、近隣の若者が大勢集まり、「乙女達の水族館」と呼ばれたりもしたぐらい衝撃的な建物でした。現在でも工場として快適に機能し、多くのデザイナーが、見学に訪れており、重要保存建築物の指定を受けています。

■空飛ぶ男―ロロプランの開発
リヒャルトはまた、独創性に富んだデザインの凧―ロロプランを開発し、おもちゃコンクールの一等賞を受賞しています。その性能は、素晴らしいものでした。それを実証すべく、彼は巨大なロロプランを作り、自身が、巨大凧で空に舞い上がり、上空からシュタイフのあるギンゲンの街なみを写真撮影しています。まるで、命知らずの冒険家のようです。

■巨大からくり―モーションディスプレイの製作
動物たちが楽しく動くモーションディスプレイ。今では、シュタイフの大きな魅力的イメージの一つになっているモーションディスプレイも、彼とアルベール・シュロプスニーの手により、作られました。1912年に製作された消防車のモーションディスプレイは特に名作と言われ、そのスケールと精密な動きは、周囲を驚かせ魅了しました。

■様々な製作―おもちゃ以外にも
絵本や童話のキャラクターぬいぐるみの製作、マルガレーテ用の特注車椅子の製作、趣味の狩りがこうじたライフルの照準の特許、(自宅の地下に射撃練習場を作ってしまった)や、愛煙家ゆえライターの開発までしていました。
ちなみに、彼はアメリカに渡るまでは、自分でデザインした上着しか着ませんでした。ネクタイ嫌いで、ネクタイをしなくてもすむように高襟のジャケットを自らデザインし着ていたのです。残念ながらアメリカではそのようなジャケットは聖職者だけが着るものだったので諦めざるを得ませんでした。
また、常に小さなポケットナイフと手作りのアルミニウムのプライヤーとスクリュードライバーを持ち歩きました。いつでもアイデアが浮かぶとすぐ書き留めていた彼は、それら以外にも数限りない作品を作っています。
そのほかにも、信念の人(頑固者)、独創の人(変わり者)らしい面白いエピソードをスザンヌさんから、お聞きしました。

■テディベアの誕生―性別、国境を超えたコンセプト
さて、テディベアの誕生についての話ですが、特筆すべきは、この玩具史上最も長命ともいえるテディベアは、決して偶然ではないということです。リヒャルトは、人気の黄金律ともいえるものを充分に考慮・企画し、改善を加え、そしてテディベアが誕生したのです。
これは、「テディベアが100年間、愛され続けた謎」の一つともいえますが、「テディベア=熊のぬいぐるみ」と考えると謎はとけません。
写真の通り、車輪グマとテディベアは、形がまったく違っています。記録で明らかにされていますが、リヒャルトは5ジョイントのメカニズムを開発した時、ペットと家族の中間に位置する存在のおもちゃを目指しました。
当時人気のあった抱き人形のフォルム、子どもも抱きやすいサイズ、そして、怖すぎない表情、肌触りを考慮し、作り上げたのです。マルガレーテと相談しながら何度も作り直し、進化させて現在のテディベアのスタイルが生まれました。
それゆえ、絵本の中で女の子が抱いていても、おもちゃ箱に入れられていても、窓辺に飾られても、なじんでしまう不思議な魅力を持っています。
そして人形と違い、「クマであること」で、性別や人種の壁さえも超えてしまったのです。

■リヒャルトの後半生
テディベアの成功により、世界規模の企業に成長したシュタイフの中でも、とりわけリヒャルトは、特別な存在として活躍します。
しかし、開発から販売に関わるすべての業務に、細かく、厳しく、信念を持って指示する信頼と責任を負う役割は、大きなストレスともなり、彼の健康を害することとなってしまいました。1923年に、ドイツの激務を離れ、惜しまれつつも、新大陸アメリカで生活、仕事をする事となります。
リヒャルトは、渡米したニューヨークでも、当時のモガ、モボの時代性を取り入れるべく、カラフルなテディベアや、テディローズなどのフェミニンなデザインのテディベアを提案しました。


その後、大戦の足音が迫るなか、ミシガン州ジャクソンに住まいを移し、狩り・ボーリングを楽しむ生活を送りました。
1939年3月31日、リヒャルトは、いつものシガーショップにいき、葉巻の先をカットしようとして心臓発作に襲われます。享年63才でした。地元の新聞は「リヒャルト・シュタイフ−発明家、芸術家、そして老兵突然の死」という見出しで訃報をつげました。
20世紀初頭、ヨーロッパからアメリカ大陸に、テディベアを創り、広めた男、リヒャルト・シュタイフ。彼の創ったテディベアは、世界中の人から愛され続けています。

(ここでは、ドイツ語読みでリヒャルト・シュタイフとしました。英語読みではリチャード・シュタイフとなります)



 
財団法人日本玩具文化財団
佐藤豊彦