テディベアの歴史
テディベアの歴史は、1902年、ドイツ シュタイフ社のリチャード・シュタイフが、良質なモヘア地を使い、 頭・両手・両足を動かすことのできる5ジョイントのくまのぬいぐるみ「PB55」を開発したことから始まります。 そして2002年、このくまのぬいぐるみが生誕100年を迎えました。 100年という長い年月の間、テディベアは常に変化し続けてきました。 目は、最初の木や皮で出来ているブーツボタンからガラスへと変わり、現在はプラスチックの目が多く使用されています。 素材は、当初からモヘアフラシ天が使用され、物資の不足した戦時中には代用素材が使われたこともありました。 詰めものは、木毛からパンヤ、そして現在の主流は化繊綿へと変わっています。
テディベアの歴史
1902 | 11月12日、セオドア・ルーズベルトは狩猟旅行に出発するが、熊は一頭も、しとめられない。 11月16日、クリフォード・J・ベリーマンは、ルーズベルトが熊の子の射殺を断っている場面の風刺漫画を ≪ワシントンポスト紙≫に掲載。 漫画の題名“一線を画す”は、ルイジアナ州とミシシッピ州の州境論争を解決しようというルーズベルトの 試みを暗示している。 ドイツ シュタイフ社では、リチャード・シュタイフの提案で、毛足の長いモヘヤで作られたくまのぬいぐるみ 「PB55」が考案された。 |
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1903 | 1903年~1908年にかけ、シュタイフ社は工場を3度も拡張。この時期を“ベア年”と呼ぶ。 モリス・ミットムは、アイデアル・ノヴェルティ社を設立し、アメリカ初のテディベアメーカーとなる。 |
1904 | シュタイフ社では、糸ジョイントの「PB35」、金属ジョイントの「PB28」を新しく開発。また、フランツ・シュタイフの考案で、すべてのシュタイフの製造品には、ゾウが刻印されたメタルのボタンがつけられることになった。 |
1905 | シュタイフ社では、現在の標準仕様となっているディスク・ジョイントの「PAB」が誕生。 シーモア・イートンの≪ルーズベルトベアズ≫の詩がアメリカの新聞に掲載され、その影響で洋服を着た ベアが次々と製造される。 |
1906 | 5月、玩具業界誌≪プレイシングス≫に初めて“テディのベア”が掲載される。 短命のメーカーがアメリカでたくさん創業される。 |
1907 | シュタイフ社は、97万5千頭のベアを生産する。この記録はいまだ破られていない。 |
1908 | J・K・ファーネル社により、イギリスのベア産業が開始される。 シュタイフ社とドイツの会社の間に“ボタン・イン・イヤー”の訴訟が起きる。 |
1913 | ヘルマン社初のベアが製造される。 |
1914 | 1914年~1915年、イギリスでドイツ製品の輸入が禁止されると同時に、ぬいぐるみ産業が起きる。 1919年~1921年、シュタイフ社では、フラシ天不足のため、イラクサを加工した素材でベアを製造。 |
1920 | 1920年代~1930年代、ドイツ製品の輸入が禁止されたため、イギリスのメーカーが台頭していく。 メアリー・トゥーテルの≪ルパートベア≫がイギリスの≪ザ・デイリー・エクスプレス≫紙に初登場。 |
1921 | シュライヤー社が「シュコ」を商標登録し、イエス・ノー・ベアで特許を取る。 |
1925 | 1925年~1928年、2色混じりのモヘヤが普及。様々な新案のベアが製造される。 |
1926 | ピエロ帽と飾り襟をつけたベアが人気を博す。 10月、≪くまのプーさん≫をメシュイン社が出版。 |
1929 | 経済恐慌の影響で粗悪なテディベアが製造される。 人絹のベアが初めて広告に登場。 |
1930 | メリーソート社、創業。 シュタイフ社、後に他社に影響を与えることになる個性的なテディベイビーとディッキーを発売。 1930年~1935年、クマのプーさん玩具やゲームを様々なメーカーが製造する。 1930年代、新しいデザインや形のテディベアが登場。 |
1937 | イギリスで、ジョージ6世の国王戴冠式に刺激され、赤白青の愛国的なベアが製造される。 |
1938 | チャド・バレー社にエリザベス女王より王室御用達認可証が授与される。 |
1940 | 1940年~1945年、材料不足のためメーカーは生産高を減らし、代用布地、今までより短い四肢や鼻面の デザイン、ジョイントなしの首などにより節約作をとる。 |
1944 | 「スモーキーベア」が全米森林火災防止キャンペーンのシンボルとなる。 |
1945 | 身近にある材料でベアが作られた。シープスキンをモヘアの代用品に、サブ(繊維くず)がパンヤの代わりに使われる。 |
1947 | 1947年~1948年、ドイツのアメリカ占領地区で新会社を設立する会社が続出。「Made in US Zone」を加えたラベルがベアにつく。 |
1947 | 1950年~1953年、合成繊維が初めて商品に使用される。 1950年代、日本のぜんまい仕掛け(のちには電動式)のベアの到来により、ドイツの会社がいくつも消滅。 |
1951 | シュタイフ社、新デザインのゾッティを売り出す。 |
1952 | ビニール製の鼻づらが、アメリカのメーカーによって取り入れられる。 |
1953 | “スモーキーベア”が全米森林火災防止キャンペーンのためにアイディアル社によって製造される。 シュタイフ社、ジャッキーというまったく新しいデザインのベアが発表された。 |
1954 | ウェンディ・ボストン社が丸洗い可能なナイロンのフラシ天、安全な目、フォームラバーの詰め物を使った 最初のベアをイギリスで試験的に販売。 |
1955 | ウェンディ・ボストン社は、洗濯機で洗えるベアの実演宣伝をBBCテレビで開始。フランスのブルゴム社が 同様のベアの製造を開始。他のメーカーもこれに続く。 |
1957 | メリーソート社が耳に鈴の入った「チーキー」を製造。他のイギリスのメーカーもこの特徴を模倣。 |
1958 | マイケル・ボンドが≪くまのパディントン≫をイギリスで出版。 |
1964 | セオドア・ルーズベルトの孫が初期のアイディアル社製ベアをワシントンDCのスミソニアン博物館に寄贈。 |
1969 | イギリスの俳優、ピーター・ブル、≪ベア・ウィズ・ミー≫を出版。ベア・ブームのきっかけとなる。 |
1970 | 1970年代、多くの会社が東南アジアに製造の拠点を移す。 |
1980 | デイキン社がモスクワオリンピックのマスコット、ミーシャを製造。 シュタイフ社、アンティークのレプリカを限定で作り始める。 |
1981 | “ベア・アーティスト”という言葉が≪USドール・リーダー≫に初登場。ベアアートブームがアメリカとイギリスで起こる。 『テディベアとその仲間たち展』が日本各地で開催される。 |
1982 | メリーソート社が特別版コレクターベアを製造。 |
1983 | バニー・キャンピオンがサザビーズのベア・コレクター向けオークション用にテディベアを製造。 |
1984 | シュタイフ社、初の丸洗い可能な軟らかい詰め物を使ったジョイント付きのベア、ペッツィーを製造。 |
1985 | 『グッド・ベアズ・オブ・ワールド』は1985年を国際テディベア年と定める。 |
1985 | 世界初のテディベア博物館がベルリンで開館。 |
1992 | テディベア生誕90年。『シュタイフクラブ』設立。 『ジャパンテディベアファンクラブ』発足 |
1993 | 『日本テディベア協会』発足 |
1996 | 『シュタイフクラブジャパン』発足。 |
1996 | マルガレーテ・シュタイフ生誕150周年を記念して『ドイツ シュタイフ博物館展』が日本各地で開催される。 |
2002 | テディベア生誕100年。『テディベア生誕100年展』が日本各地で開催される。また、世界でも様々なイベントが開催される。 |
- 各プロジェクト単位での表示となっておりますので、年代にばらつきがあります。
- 「テディベア生誕100年展」(2002年)プロジェクト時点での調査結果となります。
参考文献
- 「テディベアのすべてが知りたい」より 若月伸一、佐藤豊彦著